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独学モラトリアム 残り少ない支払い猶予期間で興味のあることにガンガン取り組むブログ

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みんな、かつては子供だった

 ツイッターにかまけすぎてる鵜です。これはひどい。そして多分これからも酷い。学校のことはつづがなくしてます。相変わらず成績は良い方です。
 今日は子供に関する雑感です。



 私は元々あまり子供が好きじゃないです。
 8月中、バイト先でよく「夏休み子ども科学電話相談」を聴いていたのですが、内容に不愉快になることが多く、もう店主にラジオ切っていいですか?と切り出すか真剣に悩むレベルでした。
 小学5年生くらいならだいたい大丈夫なのですが、1年生・2年生の子が出てくると辛い。
 会話が成立してない。呂律が回ってない。「わかったかな?」のあと、無言になるともう放送事故レベルの長い沈黙。まぁ、答える役の大人たちも容赦なく専門用語や低学年では理解できなさそうな熟語を多用するので、一概に子供のせいとは言えませんが。
 ああああああああああああお母さんお父さん後ろにいるんでしょ、フォロー入れてよおおおおおおおおお と私が心の中でのたうちまわります。
 のたうちまわりながらふと「当時の自分が電話で質問したら、この子たちと変わらない放送になるのかな?」と疑問に思いました。
 だってみんなかつては子供だったのですから。

 これは個人差があるのでしょうが小学校入りたての頃の自分について、私はほとんど記憶がありません。当時の自分の会話スキルなんて見当もつきません。
 「当時の自分が質問したら、この子たちと変わらないグダグダな放送になる」と仮定するのは屈辱的でした。 恥ずかしすぎる。ラジオなんて全く聴かずに育ったから、こんな企画に参加しようとするわけがない子供だったけど。

 バイトをしていて、テレビを見ていて、その他様々なところで子供を見ます。私は子供を見て無条件に癒しを感じたりする人間ではないので、子供の行動に辟易することもあります。その度に、「でも私も当時は似たようなものだったのかな」と考えては「そんなのやだなぁ」とぼんやり思っていました。



 朝のワイドショーの一企画で近所の子供が宝物を持って集まる、というのを父と一緒に観ていました。「これは何?」と訊かれてもろくに答えない子供を観て、父は苛立っているようでした。私もチャンネル変えたくなります。

私「なんかこういうの観てられないなって毎回思うんだけど、自分もかつてはそうだったのかと思うと複雑な心境になるわ」
父「え? お前は全然マシな子だったよ」
私「自分ではわからんし」 
父「少なくともこいつらよりは、ちゃんと話すべき部分でしっかり話せる子だったよ。語彙もあったし」

 凄く安心しました。そうか、私マシだったんだ。こんな恥を公共の電波で晒す子じゃなかったんだ。
 父は言いました。テレビに映っている子たちの親が、どうしようもない親馬鹿なんだろう、と。

 その数日後、母と二人で外食に出かけました。隣の席の子供たちが非常にフリーダムで、目に余ります。歩き回るし、たまごっち触りだすし、でかい声で騒ぐし……
 隣の席が空席になった後、母にも「かつての自分があの子たちとさして変わらなかったと思うとゾッとする」と話を切り出してみました。

母「断然アンタのほうが大人しくていい子だったよ」
私「そうなの?」
母「あれはしつけがなってないんだよ。あのお母さんも全然注意しないし、食べ終わってんのになかなか帰らないし」
私「厳しくしつけられた記憶がありませんので、にわかには信じがたいです」
母「そりゃいいことじゃん。覚えがあったら軽い虐待じゃない?」」

 そうか、しつけか、そういうのがあったな。
 子供に辟易した時、一番に感情を向けるべきはその子の親なのか。と目からウロコ。
 その子がいい子でいられるかどうかって、親次第なんだよなぁ。
 そう考えると、自分は本当に恵まれた家庭環境だなぁ。
 
 という、家庭自慢。

 しかし、結構な頻度で子供に辟易するから子供が嫌いと宣言しているわけで、その点は世の中の親御さんを憐れむべきなのか、私の心がせまいのか・・・・・・
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